キジは不死鳥。 ペリクレス時代(紀元前四九九-四二九年)[古代ギリシァの全霊期]に、二種類のキジがギリシアに輸入された。 その一つは"ファシアノス"とよばれ、黒海の東海岸にあるコルキス地方から輸入された。 もう一つは"テタロス"といい、ペルシアから輸入された。 ずっと後になって、中国からヨーロッパへ数羽のキンケイ[金鶏]の標本が到来して、たいそう評判になった。 非常に珍奇なので、この鳥は不死鳥とよばれた。 もちろん、エジプトの有名な伝説上の不死鳥は、もっとアオサギに似ていたといわれる。 ブリニウス[ローマの博物学者。 二二T七九年]によると、 ローマ皇帝クラウディウス一世は、紀元四七 ウナーラム年に公共広場に「不死鳥」を展示した。 そして、この鳥はきらめく赤い羽、黄色い尾とオレンジ色の尻をもっていたという。 これは、たいそう多彩ではあったが、ローマ人は、この鳥に伝説にあるような進窟がなく、また、ミルラ[灘歎の木]の小枝の巣をもっていないことを不満に思っていたそうである。 その当時、ふつうのキジはすでに大量に飼育されていた。 この鳥は翼を切られて、木の囲いのなかで飼われた。 そこで、かれらは急速にふやされるか、あるいはニワトリといっしょに飼育されるかした。 あとのばあい、めんどりは、キジのひなにたいして養母の役割をよくするからである。 中世には、こういうキジの飼育場は全ヨーロッパに存在した。 戦争のときには、かれらは無視され、そして囲いから逃げ出した鳥は、野外で急速に繁殖していった。 キジは、むかしもいまも狩りの獲物として入気を保っている。 |